ペキニーズの起源については不明の部分が多いが、祖先はヨーロッパの小型スパニエルで、シルクロードや他の交易ルートを経て中国に伝わったものと思われる。
チベットから献上されたラサ・アプソ関与説も根強い。
ペキニーズが特殊な体形と独特の性格を持つのは、中国での育種の歴史が特異であった事による。
ペキニーズは中国歴代帝国宮廷内の限られた領域で限られた人物によってのみ飼育され、文字通り門外不出の犬であった。
1000年以上に渡り、中国皇帝の独占物として育種され宮廷内で寵愛をうけてきた特殊な犬種である。
8世紀の唐の時代には宮廷内の文書にすでにこの犬種の記述があり、宗、元の各時代を通じて飼育の記録が残っている。
この間、呼称に変化はあるもののサイズや被毛色に大きな変化が見られず、18世紀に宮廷内で描かれた絵画に見られるペキニーズは現代のペキニーズとほとんど同一のタイプである。
ペキニーズに関しては現代の「犬種標準」にあたる規準が宮廷内で定められており、規準に合わない子犬が生まれると淘汰された。
ペキニーズに危害を加えた者は死罪になるなど、史上例を見ない厳しい管理のもとで繁殖が続けられた。
ペキニーズは宮廷内の神聖な寺院で飼育されており、仏教行事とも結びづけられ宗教的な役割を果たしていたとも言われている。
特に、寵愛を受けた皇帝の柩を墓に導くのはペキニーズの仕事であった。
1911年西太后の葬儀では「モータン」と言う名のペキニーズが柩を先導した。
1860年アヘン戦争時、イギリス軍が北京の宮廷に突入した際に、多くの犬の死体を発見した。
皇族はペキニーズが白人の手に渡る事を恐れ、自ら殺したものと思われる。
この時、皇帝の叔母の居室で叔母の死体と共に、生きた5頭のペキニーズを発見したと言う。
この5頭のペキニーズがイギリスに渡り、ビクトリア女王の保護を経て今日までその種を保持する事となる。
5頭の内フォーンとホワイトのパーティカラーの1頭がビクトリア女王に献上された。このペキニーズは「ローティ」と名付けられて1872年まで、ウインザー城で生存した。
この後、ペキニーズはイギリスを経由して多くの国に紹介された。
特異な風貌と個性を持つペキニーズはヨーロッパ諸国、アメリカで急速に人気を得て代表的な愛玩犬種となった。
特にヨーロッパでは多くの他犬種の改良育種に影響を与え、短吻犬種ブームのきっかけを作った事で知られている。
ペキニーズは宮廷内と言う閉鎖的な環境で飼育されていたために、政変により原産国では絶滅し、イギリスを介して紹介された諸国で流行犬となった類のない犬種である。
犬種名には北京の地名が充てられた。
ペキニーズは古代中国で「獅子犬」「太陽犬」「袖犬」と3つの名で呼ばれた。
ライオンのような後躯に向かって先細りの体形、太陽のような赤みがかった金色の被毛、袖に入るサイズとウェイト、これらは現在もペキニーズの犬種標準そのものである。
ペキニーズは犬らしくない犬と言われ、人間に忠実な「家畜的ペット」の概念はあてはまらない。
むしろ猫に近いその性格や特異な風貌から万人好みの犬とは言い難いが、それ故の根強い人気も又、類を見ない。
宮廷寺院の台座から降りたペキニーズは恐れを知らず、尾を巻いて逃げるなどと言う事はない。
玉をころがすような魅力的なローリング歩様が特徴で、全身が長い被毛で覆われるがシーズーのように顔にかかる事はない。
顔は黒い方が望ましいとされている。
人に媚びる事なく、自尊心が強く大胆、程度を超えた頑固さはこの犬種の由来と無関係ではない。
ペキニーズは皇族の衣装の袖に入って宮廷内を移動したと言われる「袖犬」である。
愛玩犬でありながら「膝犬」「抱き犬」ではなく、抱かれる事を好まない独特の個性をもっている。
原産国 | 中国 |
分類 | トイ (AKC) 第9グループ(JKC) |
体高 | ♂20cm前後 ♀20cm前後 |
体重 | ♂3.2~6.5kg ♀3.2~6.5kg |